承認欲求
このpostをふぁぼしてくれた人のふぁぼオブザイヤー2016をアレしてアレするやつ俺もやりたいのでふぁぼしてくれると小躍りします。
— 373.3 (@373_3) 2017年1月1日
毎年、年末年始の恒例行事でこんなことをやっていた。favlogを遡るのは本当に楽しい。年始早々大笑いしながら、favってくれた人のpostを漁っていた。
閑話休題。
fav(現在は「いいね」だけど)をしてくれ、という行為は個人的にはやっぱり苦手で、そもそもpostに対して良いと思ってくれる人がつけてくれるものだ。それを「してほしい」というのは目的と手段が逆になっているというか、post内容関係なくfavってもらって嬉しいのか?という気持ちになる。
「~~するのでfavください」みたいな人を「承認欲求モンスター」と心の中で呼んでいるし、そういう連中と同じことをしたくない気持ちも強いので、冒頭に貼り付けたpostのようにあからさまにfavを求める書き方をするのに躊躇いがあった。
(少し話はズレるけど、他人の「favってくれた人に云々」といったpostに自分からfavしにいくのも「自分に対してあまりいい気持ちをもっていなかったらどうしよう」といったことを考えてしまって躊躇ってしまう)
ただ、今回のケースに関しては、これを起点にコミュニケーションが発生するし、そもそもfavをもらうことが主目的ではないことに気づけたので、自分の中で一つの線引きができたと思う。
大事なことは「なぜ行動を起こすか」という目的であり、それが自分の信念に則ったものであるなら、目的のための行動を躊躇う必要は無い。
この考え方は今後、様々な選択のために行動を起こす際の指標にしていきたい。それは、自分の良かれと思う選択、そしてその先にある幸せに必ずつながっていくのだと思いたい。